はるぱり・そんぐす🎈

東京パリカのブンガク恋慕 はるぱり XII? 

じぶんのかお

女子トイレというのに思春期のころから高校時代にかけて内心嫌悪していたもので、小学生のころはまだしも、中学生にもなると、とにかくその不潔さがいやでたまらなかった。そうはいっても、いったい何がちらかっていたのか、よくおもいだせないのだけれど、中学生のころはまだあぶらとり紙はそこまで一般化していなかったとおもうので、消臭スプレー缶や、髪を巻くカーラーや整髪用のムースの缶のたぐいだったのかもしれない。あとは髪の毛、ちり紙、それらがいかにも不潔な様子でちらかっているのが、わりと日常のことだったとおもう。ダンシのほうが清潔なんだろうな、と男兄弟のいない欠けた想像力でおもったし、今もそうおもっているところがある。

 

でもそれは、自分の容姿を見るために鏡をじっとみつめているほかのキラキラとしてみえた女子たちへの、すこしひねくれた憧れの反映だったのかも知れないし、それができない自分のコンプレックスによるものだったのかもしれない。

 

わたしは自分の顔を公共の場で恥ずかしがらずに鏡で見られるようになったのは、かなりおそく、高校生になったときに、勇気をもってそれをはじめたくらいだった。勇気をもって、人並みに自分の顔をみなければ、というくらいの意気ごみがひつようだったらしい。すくなくとも、中学までは無理だった。

 

大学二年生からお化粧をするようになって、今では、お化粧するのに顔をみるのが習慣になっているけれど、自分の顔をみているようで、じっさいはみていない、ということに気がついた。べつの自分の顔をみていたということに気がついた、というべきか。

 

つい先日、二十年とまではいかなくても、ひさしぶりのかつての仲間たちにあう機会があった。そのなかのひとりが、「顔いじった?」とわたしに言った。ちかごろは、そういう人が多いから、聞いてしまうのだ、とかのじょは言う。はて、とおもったが、整形のことか、とすぐに気がついた。整形をしたことはないので、「いじっていないよ」とこたえた。

 

わたしは一重コンプレックスで、一重をすこしでも二重っぽくみせたいという衝動がいまだに解消せず、お化粧するときにはそのことをいちばん考えてしまう。そうはいっても、ずぼらなわたしは、整形どころか、アイプチとかいう線を引いて二重にするような細工もしたことがないし、エクステとかいうまつげのなにかもしたことがない。せっせとアイラインを引いて、ひさしぶりに会った父親に、眼が濃くないかといわせてしまったことがあるくらいだから、知らずにうっかり下手な化粧で失敗していることも多いのだろう。

 

「いじってないよ、一重だからお化粧で一生懸命ごまかしてるけど」などと、日常そのままの話をした。「一重でしたよね」と近くにいたべつの一人がいう。

 

人の顔はつくられていく、というのはたぶんほんとうなのだろう。若いときには形のよさがものをいうところはあって、美男美女というのはもちろんいる。俳優業やモデル業をするひとたち、宮沢りえさんのような容姿のもちぬしは、言うまでもなく例外的だ。そうした例外的なひともあわせて、ある程度年を重ねて、二十代を終えて、三十代、四十代と過ごすうちに、それまでの内的、外的なあれこれが、つまり、心的、身体的あれこれが目に見える形であらわれてくる。顔というのが、身体のなかでもっとも露出されているので、結果的に対人的には「顔に出てくる」ということになる。

 

そいういうことは、ここさいきん、つくづく感じてはいた。

 

ひさしぶりに仲間たちに会えて、もしまた二十年後に会うとなれば、と数えてみると、ああ自分はたいした年齢になっている。人生は長いと母はよく言う。それをおもいだすから、人生は長くてみじかいのかな、どうなのだろう、よくわからない。ぼんやりと帰宅して、寝るまえには、きれいに顔を洗う。

 

ふと顔のことをおもいだして、鏡をみてみた。つかれた左目がすっかり二重である。「一重でしたよね」という言葉の過去形をおもいだす。右目はざんねんながら、途中まで二重風というくらいで中途半端だ。

 

ゆうちゃんのことをおもいだした。ゆうちゃんというのは母の姉で、従姉の母のことなのだけれど、とても美人で、六十過ぎたいまもバレエを舞台で踊り、体操をカルチャーセンターなどでおしえたりもしている、母にとって子どもときから自慢のお姉ちゃん。わたしが一重を気にしているのを聞いて、子どものころからなんどか、励ましてくれていたのだろう、母は、ゆうちゃんはずっと一重だったのだけれど、いつのまにかに二重になった、と話してくれたっけ。

 

わたしも左目はちょっと二重になってたみたい。いつのまにかに。

 

わたしが一重だったのに疲れ目になるととくに二重風になるのは、おもいおこせばアレルギー皮膚炎のせいだ。精神的にもかなり疲弊していたパリでの暮らしの終盤、眼のまわりが日に日にただれていって、さいごは眼のまわりがすっかり黒ずんでいた。帰国直後、泣き虫の母は涙目になってかわいそうにとわたしの眼の黒ずみをみつめたほどだ。ちなみに、そんな母は、かつてベティーちゃん(ペコちゃんだったかな)と呼ばれて気に病むほどに二重まぶたのクリクリしたぱっちりおめめであり、ついでに言えば、家族はわたし以外、父も妹も、そのようなおめめでまつげも長い(コンプレックスもやむをえまいかと)。パリ滞在中に、荒れたまぶたをみて、皮が剥けて、少し眼の感じが変わったとおもったことがおもえばあった。整形というのは、そういうちょっとした傷をつくるのとおなじようなことを技術的にやるものなのかもしれない。プチ整形なんていわれるのは、すくなくともそういうことなのだろう、とおもう。

 

皮膚炎については、帰国後すぐに実家ちかくの皮膚科に行ってステロイドで治療して、わりとすぐにおちついた。アレルギー皮膚炎はなおったわけではないから、治療は今もつづいているけれど。

 

人の顔はつくられていく、というのは本当で、学業をつづけた地味な外国暮らしのあれこれが、今のわたしの顔に出ている。それも内的なものがでただけではなくて、外的な要因も顔に残ったということか。まいにち鏡をみていたのに、一重じゃない自分を前提にお化粧をして、じっさいの自分の顔をわたしはすこしもみていなかったらしい。

 

芸能人は、すこし顔かたちがかわるとすぐに劣化したとか整形したとかいわれるようだから、まあ、じっさい、整形する人もおおいのかもしれないけれど、ちょっと気の毒な気がしてきた。やっぱり人の顔が日々の歩みとともにつくられていくというのは、すべての人に等しくあてはまることだろう。

 

 

これからわたしが、あなたが、みなが、いったいどんな顔になっていくのか、いろんなことがあるかもしれないけれど、それでも、なんでも、おたのしみ、にしたい。

 

年をとることを

たのしみにできたらいい☆