読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はるぱり・そんぐす🎈

東京パリカのブンガク恋慕 はるぱり XII? 

にたようなおどろき

黒澤明監督の映画をほとんどみずにここまで生きてきたのを、昨年あたりから、さいしょになにをみたのだったか『素晴らしき日曜日』だったかな、すこしずつ、「今年は黒澤年」にしようとおもうようになった。そうはいっても、おもうばかりで、ぐずぐずとしていた。それでも、たしか夏期休暇後に授業が再開されるその直前に『我が青春に悔いなし』をみたのをきっかけに、時間の比較的みじかいものをレンタル屋さんから借りてきて、忙しさの合間にみてみては、ひとりでよろこんでいた。それでさらに調子づくかもしれなかったけれど、けっきょく疲労の合間をぬってみることができたのは、五本くらいで、あとは時間なのか、気力なのか、まあそのその両方が足りなかった。傑作といわれている作品はほとんどみていないのだけれど、とにかく長いから手がつけられない。つい借りてきてもみずに返すのくりかえしだった。

年明けて、授業も終わり、試験や採点も片づくと、「二月こそは黒澤明月間だ」とおもったのだけれど、知らないうちに二月が過ぎた。そんなわけだから「三月こそは黒澤明月間だ」、というわけで、ようやく『七人の侍』をみた。ようやくみたのだ。おもしろかった。

黒澤監督の映画の音楽は、なんだかすごい。人もむきだしだけれど、音楽もむきだしで、かたちがあるような音が多い。生きものの立てる映画的な音が音楽との境界線をどんどん越えていってそのまま音楽みたいになっていく。

七人の侍』の内容もろくにしらずにみた。『荒野の七人』はもちろんみたことがないし、『ヘイトフル・エイト』は話題作だったけれど、DVDで心構えなく再生した結果、あっけなくすぐにバテてろくにみずに最後まで流しておえた。

七人の侍』は、侍が七人登場してたたかう映画なのだろう、というくらいの認識でみはじめた。

映画が先へとすすむにつれて、「ありゃ、こんな映画だったのかぁ、いやぁ、おかしいねぇ」とおもうのだった。そのかんじが、はじめて夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んでいるときのかんじ、「ありゃ、こんな本だったのかぁ、いやぁ、おかしいねぇ」、とよくにたものだった。

姿三四郎』もおもしろかったのだけれど、黒澤明好きの人たちにそういったら、「あれはつまらん」といわれた。『姿三四郎』はいろんな監督が撮ってるけれど、1943年の黒澤監督の『姿三四郎』だよ、それでもつまらないのかなぁ、おもしろかったのにな……と、そんなふうにぼんやりおもいはしたけれど、こうして『七人の侍』をみてしまうと、『姿三四郎』のころはいくら監督でも序の口というのは納得だ。もっとも、『用心棒』などもみているので、おもしろいとはいったけれど、『姿三四郎』を、『用心棒』のような類いの傑作とはそもそもおもっていない。おもしろい、もいろいろだね。でも素っ頓狂なニュアンスは『姿三四郎』のなかにふんだんに芽吹いていたのはたしかだとおもう。

のこりの長い作品のいくつかを、三月中にみるつもりだ。

四月からフランスと日本の合作の『乱』がデジタル修復版で公開されるから、『乱』についてはそれをみに行くのもいいかもしれない。1985年の映画だから、『どですかでん』よりもさらにずっとあと。『どですかでん』は1970年だ。

どですかでんどですかでん、とくり返したけれど、今、いろいろみようとしているのは、『どですかでん』をみるまえにいろいろみておきたからというのがいちばんの理由だ。近所のレンタル屋さんにあつかいがないため、人から借りて、そのまま借りたままになっている。

せめて『どですかでん』まえに撮られた長編大作を今月中あと二本はみたい。

……三本というには、ちょっと自信がない。

 

話は逸れるが、あしたからはもうすこしはやくねむるようにしたい。